人が良いこと

半年ぶりに会った友人の人が良すぎる部分に驚いた。もろもろ省くが簡潔にまとめると「自社のよく知らない相手(他部署)に不愉快な思いをさせられた、それからすごく苦手になったが、よく知らない相手なのにたったそれだけのことで苦手やら嫌いやらという感情を持つのは心が狭い気がしてならない。」というものだった。以前の自分をみているようで人が良いとこうなるのかと思うと些かぞっとするのだけれど、不愉快なことをされて苦手になるなど、自然なことではないか。思わず「そりゃそうじゃ!」とオーキド博士のような反応をしかけた。危ない。突然のオーキド博士は些か空気にそぐわない。

これがたとえば、「相手に不愉快なことされた、腹の虫がおさまらない、仕返ししないと気が済まない。」といった類の話であれば、秒もおかずにやめろと言う。不愉快なことをされたからといって仕返しするのは違う。それは道理に合わないからよせと。しかしそんな話ではなく、ただ単に不愉快なことをされ苦手(いっそ嫌い)になった、という話は特別おかしくない。心は狭くない、自然なこと、と伝えたが、あまり納得はしていなかった。うーん。そうかあ。私はどういう経緯でいい意味で開き直れたのだったかなあと考えたが、残念なことに私の頭はすっかり忘れてしまっている。ただどこかの段階で(クリスチャンの方には申し訳ないが)「隣人を愛さねばならない、なんてことはぜったいに無い。」と思い至ったわけなのだけれど、それが何きっかけだったか、今となってはもうどうでもいいのか、忘れた。案外納豆食べながらとか、そんな程度だったと思うが。

「新しいことをはじめてもうまくいかない。」「世の中生きにくい。」と言う友人は間違いなく死んだ目をしていたのだけれど、まったくだと、簡素な言葉でその話題を終えた。新しいことをすれば何事もうまく回るなんてことは幻想だし、そもそも世の中は生きにくいのだ。とはいえ、何を言ってもネガティブな返答がかえってくる状態だったので、私は黙っていたけれど。