嘘と建前と本音のこと

天性のおめでたい頭の所為か、両親の教育の賜物か、私はかなり人を信じやすい性格をしている。

以前友人とそのような話になり、私があまりにもあっさり他人を受け入れるため、「両親から悪い人間がいると教わらなかったのか」と尋ねられたことがある。

思い返してみても、両親からそのようなことを教わったことはない。思い出すのは、幼いころパチンコ屋の屋上から夜空を照らすサーチライトの正体は何かと尋ねた際に「あれはバッドマンに合図を送っているんだよ」ということである。(父よ、母よ、あれは単なる冗談だったのですね、さっき調べました、ぜんぜん違うじゃないですか)

一通りの善悪と、愛情とユーモア、そして道徳を主に教えられて育ったので、立派におめでたい頭で伸び伸びと自由に成長させていただいた。

(ここまで書いて、同じように育てられたはずの妹は私よりもずいぶんとしっかりしているので、これが、個体差……)

 

幸いにしてお金に関して二十代前半に一度痛い目に遭っているため、お金に関することはシビアに考えているのだが(思い出すと愚かさに吐きそう)、考えてみれば言われた言葉はそのまま信じている節がある。

ご本人がそう言うならばそうだろう、と。おかげさまで、他人の嘘と建前と本音の区別があまりついていない、そこらへんを線引きするのが、恐ろしく下手なのだ。

この能力が著しく低いところがあるため、しばしば苦労する。

冗談も冗談ととれず悩んだりも多い。気にしなくていいのに、と言われ、そこで初めて「あ、冗談なのか」と気が付く。

私自身、「これを言ったら相手は傷つくな」と思った時、嘘や建前を使うことはある。

そしてそれは、全人類がそういう風に考えて嘘や建前を言っているわけではないということも、なんとなく知っている。が、先述したとおり区別があまりついていないのだ。あっさりと信じるゆえに。(頭が悪いのか不器用なのか)

 

ちなみに本音だけで語り合える人間がほしいわけではない、そんなもの、ドッペルゲンガー以外ありえないと思っているしドッペルゲンガーはちょっと……そもそも許容と諦めと期待しないという三コンボが、私の中で「疑う」という能力を低くしているんじゃないだろうかとさえ思えてきた。

それがいいか悪いかは別として、嘘と建前と本音を区別できる能力を、疑うという能力を少し、鍛えたい。(サーチライトの正体が、バッドマンへの合図というのが真実の世の中ならば、悩むこともないだろうにね)