親知らずのこと

のろのろと通っていた歯医者で山場を迎えた。

簡単に言うと親知らずを抜いた、難しく言っても同じだが、抜いたのだ。

 

とくに邪魔ではなかったので今まで一本も抜かずにいたのだが、このたび、初めて抜く運びとなった。

歯医者曰く、理由を簡潔かつ乱暴に言うなら「あってもしょうがない」ということだ。

実際その親知らずはそいつの手前の歯より低い位置にあるため磨きづらく、虫歯の温床になっている可能性しかない、現に手前の歯に接した面は少なからずダメージを受けている、さらにまっすぐ生えているわけじゃないので予備の歯として残しておいてもあまり…という説明を受けたのち、背景は海が似合いそうなスポーツマンタイプの歯医者は優しい声で「どうしますか?」と私に尋ねる。

ここまで聞いた私は「いや必要ですよ!」などと微塵も思えず、「い、いりませんね…ハハハ…」と曖昧な笑みを浮かべ、抜くことを承諾したのだった。

 

で、抜いてきた。

 

よく効く麻酔をしてもらったため患部に痛みなどは感じなかったが、かなり曲がって生えていたらしく先生が創意工夫を凝らしてじっくりゆっくりと抜いてくれた。

それがまずかった。

「痛みがあれば左手を挙げてくださいね」と優しく声掛けしてくれる先生の腕は確かで、丁寧に治療をしてくれたのだが、まさかの、鼻が痛い。

抜くために器具を開けた口に入れ、それで創意工夫を凝らすためにぐいぐいと開けた口をさらに広げる、すると皮膚が引っ張られる。

結果、つられて引っ張られた鼻が痛い。

 

思いもよらなかった事態に戸惑う、患部は麻酔が効きもちろん痛くない、代わりに鼻が痛いのだ。

痛かったら手を挙げる、鼻が痛くても?

鼻が痛くても挙げるの?

鼻が痛いですって挙げるの???

そして耐えられなければ麻酔するの???鼻に????

と、そこまで考えたら、どうしようもなく笑えてきてしまい、口元が緩む。

今にも噴き出しそうな気持ちをなんとか宥めようと手のひらをつねってみる、その間にも鼻は痛い、震えてきたのは初めて親知らずを抜くことへの恐怖か、笑うことを堪えているか判断がつかない。

堪らず一度「カハッ」とえづいてしまった。

すぐに先生が手を離し「痛いですか?」と尋ねてくる、首を横に振ると、「苦しかったんですね、その時も手を挙げて大丈夫ですよ」と優しく宥めてくれる。

まさか「鼻が痛い」などと言えるわけもなく、私は殊勝な態度で頷いた。

 

麻酔はもしかしたら四、五時間は続くかもしれないが三十分後には飲食は大丈夫、飲酒や辛いもの熱いものは控えてなどの諸注意を受け無事に帰路につく。

(笑うの堪えるの)頑張ったし蒙古タンメンが食べたいなどと思っていたが思い切り辛いし熱いので断念し、こういう時は肉しかあるまいと、地元でトンテキを食べ、私の山場は終わった。

(ちなみに麻酔が切れたらすごい痛い)