正論のこと

正論は正しいけれど優しくはない。

 

正論やいわゆる一般常識(一般的に正しいと言われている類ね)は、ちっとも優しいものではないというのを、ここ最近考えている。

私は優しい人でありたいので、ここ最近の出来事に、本当に優しいとは何か、などと、おこがましくも私の中で定義し実践しようと躍起になっている。

そして薄ぼんやりと、それは「寄り添う」ことではないだろうかと、そう思うに至った。

 

話はそれるが、以前仕事であまりにもできない(失礼、それ以外形容できないので…)後輩がいて、一度だけものすごく叱ってしまったことがある。

私に余裕がなく、叱る以外の選択肢がなかったのだ。

叱ったあとずいぶんと気持ちが悪くなり、自分の中で叱ったことへの気持ちが消化できず、家に帰った後母親に一連の出来事を吐露した。

話を聞き終えた母親に「正しいのはあなただけど、それと同時に悪いのもあなた」と、たしなめられた。

正論で相手の逃げ場を無くすような叱り方をしたこと、相手が年上にも関わらず仕事ができない理由を慮るほどの余裕がないこと、そしてその事にたいして私が考え変わる努力をしなかったことなどが、主な理由に挙げられた。

つまり私は、自分の中にある正論に則った「正義」を振りかざして相手を傷つけたも同然で、相手に逃げ道を与えもしなかったことになり、それは良くないことだと言われた。

その時ハッと、そうか、と、思い、かなり反省した。

正しいことは、それを振りかざした瞬間、否定している行為と同等になる、ということを、この時思い知った。相手を慮るどころか、自己満足の行動である。

「正しい」は「咎める」事と、なんら変わりないのだ。

 

で。それを思い出し、そうか、優しいというのは、「寄り添う」ことなのではないか、という結論にたどり着いたわけなのだが。

それを思うと、これはかなり難しい部類の話である。正直、わかったところですぐにできるものではない、時間はかなりかかるだろう。現に母親だって、そう思うに至れるまで、時間がかかったといっていた。

しかしわかっているのなら、希望はあるだろう…などと考えつつ、努力していこうと思った。

(というのを、今回悩み相談をした友人たちのほとんどからバシバシの正論をぶつけられ、防御力がゼロの私には受け止めきれず余計に落ち込んだのでもう二度と相談などするものかと思っちゃったよね、でもその中でも、寄り添ってくれる友人もいたし、正論だって「私のため」を思って言っているだけだし、相談してみないとわからないこともあるから、結果はオーライである、要は他人は「正論」以外はくれないのだと改めて考えさせれたわけだ)