続・自己否定のこと

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続き。

死を願っても、周囲は全員元気だった。いいことではある。

安心できる場所はどこにもない、帰ってこれない私を心配した家族から届いた、ホームムービーのような動画をみて、さらに泣いた。

帰れない距離ではない、都内だ。

逃げることだって可能だが、その時の私には「逃げる」という選択肢はなかった。自己否定にプラスして「逃げちゃだめだ」という碇シンジばりの自己洗脳のような状態である。

受けた仕事はきちんと終わらせないといけないという信念のみで、なんとか立っていた。

 

その仕事が終わるころには、精神状態はズタズタだった。

ズタズタで、さらにいろいろな心労が重なり、そんな中、ある日仕事場で一人になった。

天気が良かったので外に出た。屋上の手すりに手をかけて下をみたとき「ちょっと降りてみようかな」という気持ちがわいた。

その瞬間、まずい、と、思った。

まずい、ちょっと降りてみようかなはまずい、意外に地面が近く見えたのはまずい、私はいま降りてみようかな?と思ったのか、本当は落ちてみようかなではなかったのか?と、頭の中で考えが巡る。

そして、逃げた。

降りてみようかな、か、落ちてみようかな、か、どちらの気持ちが強かったか、まずい、逃げなくては、逃げなくてはいけないと、その時初めて「逃げる」という選択肢がでてきた。

必要なものだけまとめて、限界ですごめんなさいという書置きを残して、ふらふらする足取りで逃げた。見つかったらどうしようという恐怖心だけがそこにあった。上司たちが出て行ったのは何時ごろだったか、帰ってくるのにまだ時間はあるのか、ところで今は何時なんだろうか、陽は高い、お昼時で、走って逃げたくても歩くのもやっとだ、早く電車に乗って、こんな場所から逃げなくては、はやく安心できる場所にいきたい、そんな気持ちだけが私のなかにあった。

そのあとのことはよく覚えてはいないが、その後半年ほどの間は家から出るのが怖かったの覚えている。

 

その前に病気で寝たきりになった時も、毎日死にたかったが、体が動かないので何もすることができず悔しくて泣いていたし、その時も自分を呪っていたが、今度は周りの人間が怖いのだ。

このままではダメだと言い聞かせ友だちの店でアルバイトなどで働きに出たものの、恐怖心と虚無感ばかりがそこにあった。

体が動くのだから死ぬことだってできるな、という、妙な自信はついていた。友だちが店を九月末にたたむと聞き、では十月になったら死のうと、やたらに前向きに考えた。

 

ここまで思い出して、何にしても死ぬことに対して前向きすぎるところはちょっとすさまじい。

ちょっと牛丼食べにいこ、レベルの気軽ささえあるな。

 

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