言葉のこと

以前、「中原中也の言葉と暮らしたい」といっていた女性がいた。

「緩やかな地獄の中で生きるような気持ちになるだろうけど、それがいい」と言っていたのだ。私は別段その女性と仲が良かったわけではないのだけれど、その言葉にやたら感心したのを覚えている。

ただ純粋に、その感性がいいなと、思った。

 

その女性とはまた別の人なのだけれど、「あなたは言葉に引っ張られるすぎるところがある」と、評価されたことがある。なるほど、と、思った。

確かに落ち込んでいる時にへたに体内に「言葉」を取り入れると(音楽だとか、小説だとかから)、ものすごい引力でその言葉に引っ張られる気質がある。

そのため落ち込んでいる際は気分を変えようと思っても、音楽はボーカルのないもので、小説なども読まないようにしている。

逆に言えば、言葉に引っ張られる気質なので、自分を正しく導いてくれる言葉(落ち込んでいるときに、前向きにしてくれる言葉だとかそういうもの)を選べばいいということでもある。

 

最初の話に戻るが、「中原中也の言葉を暮したい」を聞き、私は果たして誰の言葉と過ごしたいかを考えた。読書家ではないので、本に対する知識は少ないのだが、ふいに思い浮かんだのは、大島弓子だ。

大島弓子の言葉なら、一緒に暮らしていても苦ではないだろう、なぜなら大島弓子の作品で彼女の言葉を口にする人物たちは、誰も彼もが、切ないくらいに純粋で、無垢で、いじらしい。

(要は登場人物の性別問わず、根底にある「少女性」みたいなものに強く惹かれているわけなのだけれど)

 

彼女の漫画で「バナナブレッドのプティング」という作品がある。

作中、御茶屋峠という人物の、主人公衣良に向けたセリフがとても好きだ。前後の関係もあってこのセリフがすてきなので、読んでいない方には少々ピンとこないかもしれない、簡単にまとめると、

衣良の、「わけもなく嫌な言葉や感情に支配されて、自分をコントロールできなくなってしまうかもしれない。そんなとき、好きな人(御茶屋峠)でさえ、傷つけてしまう」という不安な気持ちに対しての返答になる。

 

「眠っていてぶっすりやられりゃこっちの負けだ、きみにここにいてくれとたのむ以上ぼくは身のかわしかたを身につけねばならない」

「これは仮定だけど、そんなときはぼく、さっと身をひき、さっと台所まで走り、さっとミルクをわかす、そしてきみにわたす」

「『さあミルクを飲んで。心がなごむよ。』そうするときみはおちついて『またあしたね』というだろう」

 

かくして衣良はミルクを受け取って、それを飲むのだ。