寂しいこと

先日、前の職場の友人と食事をした。

四ヶ月ほど前にその職場を退職し、私は今転職して別の仕事に就いているのだが、一年分くらい泣いたのではないかと思うほど号泣して退職したていどには、前の職場が好きだった。

どう考えても勤め続けることが私にとっていいことではなかったので辞めたのだが、好きだった分いまだに未練がある。仕事内容が好きで、周りにいた人間も好きだったが、それだけでは駄目だと、生きていくのには考えねばならないのだと、自分にさんざん言い聞かせた記憶も、四ヶ月という歳月ならまだまだ新しい。

 

「辞めたのが、もう一年くらい前のように感じる」と、友人が言ったので、私は退職したての、手に負えないくらいの寂しさを思い出した。

もちろん友人とは四カ月ぶりというわけではないのだが、前の会社で私はいつでも会社にいて(単に休みがない)、誰とでもいつでも会える環境にいたため、それがもうできないという事実が、本当に、単純に、寂しかった。

今までのほほんと生きていたわけではないが、手に負えないほどの寂しさを抱えるというのはその時が初めてだったため大層困ったものだ。

 

友人からきく会社の近況などは、相変わらず意味の分からない方針や忙しさ、その根底にある問題点の正体もわかっていないようなやり方で、私が勤めていた時に抱えていた腹立たしさもありありと思い出すことができた。

同時に浮かぶのは、どうしたらいいだろうかという漠然とした不安だ。

とはいえ、私は諦めて辞めた部外者なのだ、なにをどうすることもできない、ましてや戻るなど、ぜったいにしてはいけないと思っている。(もしかしたら思い込みなのかもしれないけれど、それでも、戻ることが上策とは思えない)

友人をはじめいまだ残って働いている人たちが、人が良くて、「しょうがないことだから」と思っていることを知っていて、それがあんまりじゃないかと、それがひどく、悲しい。

私の腹の底にある気持ちは、たぶん寂しいと悲しいばかりなのだ。

それを思うのは、単に、本当に単純に、私は友人たちのことが好きなのだ。

それはもう好きより強い執着にも似てきたのだ、早く手放したいのだが、思えばまだ四ヶ月だ。

盲目的に好きであった人に失恋したときは半年ほど引きずっていた。手酷い扱いを受けていたのにだ、いま考えると、すごい情熱だと思う。

それとは違い、私によくしてくれた人たちだ、それはもちろん、寂しかろう悲しかろう。

友人だって、会う頻度が減っただけだ、私は別の道を選んだだけだ。

今は冬で、センチメンタルな気持ちが、寒波に乗じて強まっているだけだ。もうすぐ二月で、なんてことはない、二〇一八年はまだはじまったばかりだ。

たったそれだけのことだから、大丈夫だと言い聞かせて、今夜は映画を観にいこうと思う。