夏休み前のこと

夏休み子ども科学電話相談」が面白く、仕事中で聴けないため聴き逃しサービスできいている。四時間もやっているのかこの番組は、と、最初は度肝を抜かれたが、聴いていればとくに時間など気にならず、逆にもう終わり?といった気持ちでいっぱいだ。そのほかは仕事場で本を三冊借りたのでそれを読んでいた。雫井脩介「火の粉」と東野圭吾「虚像の道化師」、今は三冊目の「山の怪異譚」に手を伸ばしつつ、「オブリビオン」を合間に観ている。雫井さんの本は読んだことがなかったのだが、この話はずいぶんと胸が悪くなった。借りているものが手元にある状態が気持ち悪いので早いところ読んでしまいたいのだが、「オブリビオン」が面白いのでどうしても気持ちがそちらに向きがちだ。世界観がとにかく美しい。そんな感じで私の頭の中は、自身の夏休みを前にして科学や宇宙や昆虫動植物、恐竜などでひしめき合っており、すっかり小学生男児と化している。正直仕事せずに自由研究などに時間を費やしたいと考えているが、現実の私はいい大人なので、それどころではない。

 

やっていくこと

食事をするようになった。というと語弊があるからあれなのだが、意識して食事をするようになった。以前義務で食べていると言ったが、今でもあまり変わらないが、少なくとも「食べないとやばい」という危機感のようなものが以前より大きい。食事をせず過ごして苦しんだという経験にプラスして、尋常ではなく暑いからというのもあるのだが。以前は暑いと食欲がわかないなあと思っていたが、今は「暑いと食欲はわかないが、だからといって食べないとこの暑さに打ち勝てない」という気持ちがある。このまま死にたがりが改善されたらいいのだろうけれど、そもそもそれぞれの気持ちの出所が違うのだからちょっと難しい。しぬのはいいが負けるのは悔しいという、負けず嫌いの私がここで遺憾なく発揮されている。(真面目で負けず嫌いで誠実という性格が死にたがりを抑え込んでいる感じ、あるある)

話変わって先日は会社の集会があった。地獄のような暑さの中会場まで足を運び数時間に及ぶ集会を終えてきたわけなのだが。話を聞きながら自分なりに興味がある話題、もしくはそれに関連して浮かんだ疑問、調べておきたい事などを配られたプログラムに走り書きをした。あまりにも乱雑な字で読みづらいが、改めて自分のメモを読み返し、私の興味がどこに集中しているのかを確認できたと思う。それはやはり今後の仕事においての方向性とマッチしている。地獄のような暑さの中行った甲斐は十分すぎるほどあった。本当に地獄のような暑さでどうしようかと思ったほどには地獄だったのだけれど。いつも思うのだが、やはり同じ会社内とはいえ、上と下(言い方が乱暴だが噛み砕いた結果である故申し訳ない)で上が見ているもの、下が上に求めているものに差があるなということだった。場合によっては全くかみ合っていないのではないかとさえ思える。もちろん私はどちらかといえば完全に下の立ち位置にいるので、言っていることはわかるが……という気持ちのほうが大きい。上だの下だの言ってもしょせんは人間同士の話なので、単なるコミュニケーションの問題である。一対一でも互いに互いの思惑がクリアではないだけで驚くほどこじれるのだ、その人数が多くなればなるほどこじれるのは当然といえる。全部を全部クリアにすることは絶対に不可能だが、限りなくクリアに近づけるためには今の会社でどう行動したらいいのか、今はそのことをよくよく考え、今後の私の方針と合わせやっていきたいという気持ちを再確認した。

ゲームとわたしのこと

今週のお題「ゲームの思い出」

 一時期ネットゲームにハマっていた。ハマっていたというか、ハマっていたのだが。十年も前の話ではないが、だいたいそんな感じの頃、きっかけは友人だった。今でも普通に交流がある高校の友人である。そのゲームを紹介されたのだったか、一緒にやろうと誘われたのだったかよく覚えていないのだけれど、とにかく友人きっかけでそのゲームをはじめたことは覚えている。ゲーム的にはTRPGみたいなものだ。それから仲良くなればプレイヤー同士での交流も増えてくる、ような性質をもったゲームだった。どこの界隈でもそうであるとは思うが、理解しがたい人間も当然存在する。私はプレイヤー同士で仲良くするのが苦手であり極力避けていたのだけれど、それでもその手の人間に遭遇し、ずいぶんと疲弊した記憶がある。なんだこのめんどくさい彼女みたいな奴は…私の彼女でもないのに…とだいぶ理解しがたかったのだが、できる限り冷静に対応した結果相手が勝手に思いつめて逃げて行った。完全に当て逃げである。意味が分からなかったが、とにかく助かった。その件でだいぶ私のゲームへのやる気がなくなったのもまぁまぁいいことではある。

どういう経緯でそうなったかはよく覚えていないが、紹介してくれた友人と私、そしてもう一人、そのゲーム内で知り合った人物と食事に行く事が一度だけあった。その人物はゲーム内ではずいぶんと人気のあったキャラクターのプレイヤーで、なおかつ私の友人をやたらに好いていた。ここで注意したいのが、私の友人がなかなかにめんどくさい人物にばかり好かれるということだ。いわゆるかまってちゃんタイプのメンヘラ。そして例に漏れずその人物も、はたしてそういう気質であった。だいぶ前の話であり具体的には覚えていないが、ほとんど抑止力のような形で私もその場にいた。相手からすれば自分の好きな人と仲がいい人、という、私からすればとんでもなく居心地の悪い立ち位置。ラブコメならば当て馬以下。居酒屋の個室で繰り出される相手からの友人へのどこが好きかアピール。その場に赴いたのが友人から乞われたのか、話を聞いて行くよと言ったのか覚えていないが、とにかく早く終われと思っていた。そのあとのことは興味がなく、また友人からその後の話も聞くことがなかったため知らない。願わくば、友人には自分にとって害と判断した人物を容赦なく切り捨てるくらいの優しさを持ち合わせてもらいたいものである。受け入れられないままに拒絶することなく甘い顔をしておいて、後で文句を言うのは、いささか筋違いではなかろうか。もしも本当に悩んでいてどうにかしたいと相談された際はそう伝えようと、先日会った際「本当に関わりたくない人からたまに連絡が来て困る」と話していた友人を見て決意した。(なぜこうも学ばずにいるのかと不思議に思ったのだけれど)

ちっともゲームの話ではなかったが、ゲームにまつわる話である。(ところで最近リリースされた「DJノブナガ」が面白くて遊んでいる)

 

最近のこと九

ここ最近観た映画。だいたいAmazon prime。あとはWOWWOWと劇場。

バーフバリ 王の凱旋(完全版)」「美女と野獣(2014)」「親切なクムジャさん」「ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー」「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」「プレステージ」「グレイテスト・ショーマン」「ジョーズ」「ジュラシック・ワールド 炎の王国」「エイリアン ディレクターズ・カット」「エイリアン2(完全版)」「エイリアン3(完全版)」「エイリアン4(完全版)」「マジカル・ガール

 映画は洋画を中心に興味があれば雑多に観るので統一性はあまりないのだが、いつまで経ってもスペイン映画に慣れない。もちろん嫌いではないが、スペイン映画に触れるたびに驚く。ところでヨーロッパあたりの薄暗い映画は日本の薄暗い映画好きな方は好きなんじゃないだろうか。「ゲルマニウムの夜」とか。御多分に漏れず私は静かで暗い映画が好きなほうなので「マジカル・ガール」を楽しめた。(とはいえテンションあげて観るものではないのだけれど)部屋の中で行われていることは「スリーピング・ビューティー 禁断の悦び」のえげつないVer.なのだろうと想像する。

連休のこと

七月十四日から横浜美術館で「モネ それからの100年」が開催されているので、この三連休で行ってきた。横浜や桜木町界隈はさほど遠くない為よく行くのだが、何気に横浜美術館は行ったことがない。(三年に一度の美術の祭典、横浜トリエンナーレで中心の美術館という事は知っていて、どちらかと言えば私が明るくない現代美術に強いからなのだが)全体的な展示の仕方に些か戸惑いを覚えたが、睡蓮の絵のスペースは美しかった。私は川や海や池などの水の絵や、森や庭などの自然の絵が好きなので、とくにそう思うだけかもしれないのだけれど。(開催内容をみてまぁ現代美術もけっこう飾るのだろうと思っていたが、展示の仕方にそ、そうきたかー!と思わずにはいられなかったのは確かである、どういう気持ちで観たらよかったのだろう)

そのほかには「ジュラシック・ワールド 炎の王国」を観てきた。たいへん頭を抱えたので感想は避ける。何ともモヤモヤしたのとWOWWOWで「エイリアン:コヴェナント」が放映開始になりシリーズ一挙放映ということが重なったので、三連休の空いた時間でエイリアンシリーズナンバリングの完全版を全部観ていた。エイリアンの造形は美しいし、リプリーは強すぎる。八月になるまで映画館に観に行く予定がないので、七月の空いた時間は映画と読書で過ごそうと思う。(毎月似たような過ごし方をしているのだけれど)

しかし暑い。夏は好きだがいかんせん暑い。まだ七月だというのに。

声を出すこと

カラオケに行った。歌を歌いたいというよりも、声を出したいという理由が大きい。普段はかなり小声で話すタイプであり、まったく声を張らないのだが(必要ないしな)、カラオケボックスであれば変な話叫んでいても問題ないのだ。たまには大声出すか…とばかりに勇んで行ってきた次第である。夜とはいえ平日、すんなりと通された部屋がその階で一番広い部屋だったうえにステージ付きだったため、私は一人できているのですが…と部屋を見回し些か戸惑った。機種の指定しなかったせいだろうかとも思ったが、だとしても会社帰りに一人でフラッと立ち寄った人間に用意するには気合が入りすぎている。一人だとしてもステージで歌うのは恥ずかしい。あとステージ側の壁が鏡になっているのもより恥ずかしい。ラブホか。大画面を二個も用意されてどれだけ待遇がいいんだろうと思いながら二時間しっかり声を出してきた。普段からは想像もつかないほど大声が出るものである。むしろ普段の話し声を歌声にかえてしまえばだいぶ大きい声が出せるんじゃないか。心が叫びたがっているんじゃないか。そんなことを考えていた。大声出すと、ストレス発散にもなるしね。

 

会うこと

「お互い会いたいと思わなければ会えない」というのをここ最近よく考えているのは、私自身が今いったい誰に会いたいのかという事をここのところ考えているからだと思う。たいした話ではないのだけれど、そもそも誰かに「会う」というのはかなりエネルギーがいるし、「会いたい」という明確な欲求を持つのはそのエネルギーに加えてモチベーションも保たねばならないしかなり疲れる。何気なくやっているようでなかなかの重労働だ。私自身「明日死ねたら僥倖」くらいの心持ちで生きているので、ある日急に会えなくなる可能性が大きいし、余裕がなければ(この場合の余裕とは心のゆとり、心のゆとりがないと人にやさしくできないため、意味としては人にやさしくできるほどゆとりがない)予定があるだのなんだのと言い訳をし会う事自体をやんわりと拒否するので。

つらつらとどうでもいいことを書き連ねているが、ようは噛み砕いて言うと喧嘩した相手とどう会おうか考えている、ということである。許す許さないなどという話はとうに終わっているし、喧嘩なぞ多くの場合は他愛ない。私も悪かったし向こうも悪かった。お互いに謝った。が、会っていない。連絡もとっていない。(言い訳するなら仕事面で奔走していたため、私は全方位に対して連絡なぞほとんどとっていなかったのだけれど)ひと段落して落ち着いて、会おうか、というような気持ちになっている。会おうか、より、会わないとな、である。謝っただけで時が止まっている。それはよくないだろうという考えが、忙しかった間もずっと腹の底にたまっていたのだが。それがいよいよもって喉の奥までせり上がってきた。この状態でいるのはよくない。私はすぐに気に病むほうなのでとりわけよくない。ただ問題は、相手が会いたいと思うかどうかである。前述したとおり、お互いが会いたいと思わなければ会えないのだ。連絡をしようと思いLINEの画面を開くたびにどんよりとした不安がやってくる。しかし不安は思い過ごしでしかないし、自体はちっとも深刻ではない。重く考えるような話でもないのだ。私は自分の妄想の不安を勝手に怖がっているだけなのだ。明日死ねたら僥倖だ。じゃあ別に、何もこわいことなどありはしないだろう。