平成を振り返ること

今週のお題「平成を振り返る」

平成と同い年なので、元号が変わると聞いて一番に思ったことは「自分で年齢を覚えなくては、」という危機感だった。平成と同い年なんです。そういえば自分で年齢を覚えていなくても済んでいたというのに。それも三十一で終わり(しかも今月末で)、ここからは自力で覚えてなくてはいけない。それにしても、「令和」という元号はかっこいい。

「平成終わるよ、どうするの。」と、尋ねてきた友人がいる。私とはまるで違う感性で生きているので正直に言うと共感できる話が少ない友人は、私からすると不思議で仕方ない部分が多い。正直な話前述したように「自分で年齢を覚えなくては、」という危機感しかなく、それ以上でもそれ以下でもない。平成が終わろうが令和が始まろうが、私の人生は地続きで昨日今日明日と過ぎていくのだ。(平成の間にしたいことは特にないが、税金が上がる前にiPadがもう一台欲しい、とは思っている、あとはkindleも)友人は常々三十までに結婚をして子供が欲しいと言っていた、先ほどの言葉も、それを思い出してのことだと思う。私はそんなこと微塵も考えたことがないので共感はできず、その話が出るたびにあいまいな言葉で茶を濁していたのだが。言葉にはしないものの、平成の間に済ませたかったと、言わんばかりの表情だった。いつでもチャンスがあるとはまったく思わないが、別段悲観する話ではないように思える私には、友人の悲しさはわからない。令和で頑張れば、とは、言わなかった。悲しさがわからないとはいえ、それはあまりにも無責任だからだ。ただ冷蔵庫を買い替えたいが、独身でいいやつを買ってしまうのもどうなのだろう、という友人に「必要であるならスペックがいいものを買うといいよ。」とだけアドバイスした。そこにストレスを感じる必要はないように思うので。

そんな平成は残り二週間もないのだけれど、手近な二週間の間の目標としては、行きたかった美術展に行き、観たい映画を観ようと思う。つまりは、いつもと同じである。

桜のこと

今週のお題「桜」

桜の花びらを三枚、地面に落ちる前にキャッチすると願いが叶う。と聞いたのは高校生の頃なので、今からもう十年以上も前の話である。実際誰にそれを聞いたか(おそらく同級生だと思うのだけれど)記憶はあやふやだが、あれは結構難しい。というのもやってみたからなのだが、高校生の頃の私はその幻想を信じて実行してみる程度には純粋だった。実に十代らしくていい、可愛いものである。(この時点で斜に構えた感が半端ではないので、十年という月日を感じるなぁ)ある春の日、クラスの何人かで桜をみにいこうという話になった。学校の近くに川が流れており、その近くには桜が植わっている。お手軽に何人かでそこへいった。メンバーもよくよく覚えていないが、願いが叶うという幻想を実行したことは鮮明に思い出せる。とはいえ、結局それが成功したのか諦めたのか、願い事はなんだったのか、肝心なことは何一つ覚えてないのだけれど。(十代の頃の私の願い事などどうせ好きな人に関することか好きな人に関することくらいだろうが)桜の花が吹雪いて散るのをみるたび、そんなことを思い出す。

卒業してからのこと。

今週のお題「卒業」

私はお別れが苦手だ。仕事場での退職だとか、卒業式だとか、そういう類のお別れが。その点死別はすぐに受け入れるほうである故、もう二度と会わないかもしれない生きている人間とのお別れが苦手なのだと思う。そう書くとめちゃくちゃ限定的な気もするのだけれど、案外そういうことは、よくあると思う。たぶん。定かではないが。苦手な理由は単純で、どうしたらいいかわからないのだ。(どうしなくてはいけない、というわけではないのだけれど、なんていうか、とにかくどうしたらいいかわからない、が、今のところ適切な表現であることは否めない)死んでしまえば会いたい以前に「会えない」という事実ができるので、まぁ会えないしなぁで終わるのだが、それが「生きているのに会えない」になるととたんに居心地が悪くなる。「生きているのだから、会おうと思えばいつでも会える」なんて都合のいい幻想を信じていないからだろう。そんなこと、ありはしないのだ。少なくとも私の世界では。

仲のいい高校の頃からの友人が、会うたびよく「みんな卒業してから何をしているんだろう。」と言う。あの頃仲良くしていた友人と、私は今現在、半分も会っていない。私は正直コメントに困るのだが、さほど意味のない会話の一つなので「何しているんだろうね。」と相手の言葉を繰り返す。「今でもあそこで働いているのかな?」「どうだろう、でも辞める理由なさそうだしなあ。」などと適当に続けるが、会いたいわけではないのだ、こんなのはただの口遊びだ。会いたいわけではない、あんなに毎日、一緒にいたというのに。いつの間にか気持ちが変わっている。私はそれが寂しいと思う。友人の口から出てくる単なる同級生の話題さえ、まるでおとぎ話の様に現実味がなく、違和感だけが残る。自分の直接かかわりのない、でも全く知らない人ではない人間が、どこかで毎日を過ごしている。別段おかしなことはないのだけれど、なんだか不思議と居心地が悪い。それをどう受け止めたらいいか、受け止めないほうがいいのか、いまだに少し判断が鈍る。こういうものは受け止めないほうがいいのだ。もちろん、これはあくまで私の場合であるのだが。卒業してから会わない人間の話題など、私が真面目に受け止める必要なんて、どこにもない。

「会いたいよね、久しぶりに。」そう友人が言う。私はそうは思っていないので、適当に笑って受け流し、次の言葉を待つ。「でもたぶん無理だな、何話していいかわかんないもん。」その言葉を待っていましたとばかりに、私は答える。「そうだね。私も、何話していいかわかんないもん。」

私の未来予想図のこと

一年後のことさえ考えると霞がかかり、鮮明に考えることができない。具体的にこうやっていきたい、数年の間にこういうことをしたいというヴィジョンはあるが、そのどれもこれもが仕事に関することでいっぱいで、その中にプライベートのことは含まれていない。そして霞がかかり薄ぼんやりとしている未来は、常にプライベートのことだ。私は私自身のプライベートでいったいどうなっていきたいか?という問題の、答えの輪郭すら描けずにいる。絞り出すように考えた結果は「穏やかにはやく死にたい」で、相も変わらず、私のなかの死にたがりが顔をのぞかせため息をつく。それが難しいのは知っている。穏やかにはやく死ぬには、私はずいぶん健康すぎるのだ。

どうなっていきたいか、である。与太話になるがここ最近たまたまではあるが「何者かになる」ということについての文と、そういったものを目指すSNSのアカウントをいくつか目にする機会があった。SNSで肩で風を切って歩いていくようなプロフィールを眺めては、私と年齢にあまり大差はないはずなのにどうしてこうも隔たりがあるのだろうかそればかりが気になる。出た学校、勉強した内容、今まで参加したことのあるイベント、セミナー、呪文のように言葉が並んだプロフィール、早口言葉かと思ったがどうやら違うらしい。肩書か、と、感じる。そうか肩書が、彼らを「何者か」にするのだろうか。肩書。私にあるのは、せいぜい「死にたがり」である。他に言葉をくっつけたとしても「前向きな」「死にたがり」である。あまり誇らしい話ではないだろうが後ろ向きよりはいいだろう。それに何より、私らしい。何者でなくてもいい、私らしくあればいいと思えば、なるほど、すでに目標は達成されているのだ。図らずとも。

 話がそれたが未来予想図である。私の。私自身のプライベート。いわゆる私の。どうなっていきたいか。「穏やかに死にたい」も立派な目標ではあるけれど、それが現実味を帯びるのはまだ先ゆえ、さすがに具体的な対策を立ててはいけない。未来の私にかける言葉も、がんばってくださいとしか言えない。どうなっていきたい。どういう私でありたいか。現状プライベートは概ね満足はしているけれど(果たしてそれが霞のかかる原因ではないかとも思うが)、どうせ気分屋で明日には気持ちがガラリとかわってしまうかもしれないけれど、もう少し私自身にオプションをつけるなら。なにかやったなあという達成感が欲しいなら。そうだなあ。来年の今くらいまでに一つ、長編小説を書こうかな。

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帰国後のこと

旅行がリフレッシュにならないことは薄々感づいていたのだけれど、帰国後真っ先にヘルペスを発症したのでそれを確信した。デリケート。あまりにも。災害か?と思われるほど強風に見舞われもしたが綺麗な景色も暖かな空気も存分に楽しめた、ただ非日常を送っているという感覚がどうにも居心地が悪かったようだ。うーん。でもやっぱり真っ白な砂のビーチは美しかった、撮った写真を眺めてはそう思う。パスポートの期限が二〇二二年なので、それまでにまた行けたらなとも。ヘルペスはまあ、薬でおさまるので。

もともとリフレッシュ目的で旅行を決めたわけではないのだけれど、なら私にとってのリフレッシュとはいったい何なのだろうなあ。

電車でのこと

電車の中で会社経営をされている老人に声を掛けられた。

そう書くと異常にドラマチックに感じるが、実際は電車内で空いた席を譲り合い結局老人の「膝に水が溜まっている、座ると痛いからどうぞ。」という言葉に私が従った結果そのまま彼が下車するまで会話をすることとなった経緯がある。具体的に書くと長いのでざっくり割愛すると声を掛けられた、やや語弊があるのだけれど。

それはいいとして彼が下車するまでの十五分だか二十分だかそこら、私は彼の話を真摯に聞くマシーンと化していた。嫌だとは思わなかった。ただ通勤時に日課にしている映画の続きを観ようと思っていたので、それがなくなったな、とだけ思った。そしてその数十分の時間で彼は「通院のためにタクシーより電車を使うよう医者に言われていること」「百点以外はテストでとったことがないこと」「二十前半で特許を取ったこと」「医者になるよう言われたがエジソンになることを目指したこと」「二十数名の会社の社長であること」「社員へのボーナスは年二回でそれぞれ五ヶ月分、臨時は三ヶ月分であること」「億単位の資産を持っていること」「入社試験が難しく頭のいい人間しか入社させないこと」「これからアメリカのお客さんと会うこと」などをひとしきり話し「また会ったら飲もう。」と言って下車していった。短時間にずいぶんとたくさんの情報をぶち込まれたものだ、おかげさまで私の中で名も知らない老人のwikiがかるく完成した。

興味深かったのはお給料の話だった。たくさん働いてもらいたいからたくさん出す、という実にシンプルな話が私は好きだなと思った。実際どうだとかは私には関係のない話だが。たくさん、というのがどれほどか個人の感覚になるのだけれど、少なくとも彼の言い分ではやめた社員はいないという。ボーナスの話から考えても、お給料の面で不満はなかったようだ。それに加えて頭のいい人間しかいれないという点、なるほど、彼は少数精鋭部隊を作ることができたのだと思った。それが素直にうらやましいと、そう思った。少数精鋭部隊が作れたのなら、それは実に、いいことだ。

歳が歳ということもあり(なにぶん社員も彼と同年代が多く、子供はいないそうだ)会社を売ると言っていた。売ったら億単位の総資産がまた増えるけど、何に使ったらいいかわからないとも。ぜいたくな悩みですね、と、私は笑ってかえした。