最近のこと七

最近観た映画。(だいたいAmazon prime)

マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」「スレンダー 長身の怪人」「怪盗グルーのミニオン大脱走」「ルーム」「ワンダーウーマン」「リベンジ・ショット 最後の賭け」「WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ」「ウォーム・ボディーズ

今は「タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら」を観ている。

「マゴリアムおじさん~」の最初のシーンで、ナタリー・ポートマン演じるモリーが作曲の悩むシーン。彼女は幼いころから天才ピアニスト少女と呼ばれており、自分でもそう自負していた。けれど大人になって、幼いころのようにうまくいかなくなり、その自信が揺らぐ。

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 不思議だとは、思うけれど。

相談のこと

営業の立ち位置を上もしくは同等とすると(実際はそうなんだが)腹が立つし、実際やるべき仕事をしないことにヘイトがたまるので、じゃあいっそ、私の中だけでも彼の立ち位置を思い切り下げたらどうか?と思った。赤子。赤子も同然。寝返り打てたらすごいねレベルまで思い切り下げてみた。そう思っていると、こちらから必要な連絡があり電話連絡をした際「そういえば連絡しなきゃだったんですけど、」と向こうから切り出された時に「えぇ!?思い出せたんですか!えらいでちゅね!」みたいな気持ちになった。すこぶる穏やか。赤子なら仕方がない。だって寝返り打てたらすごいもの。

 

という話を先日、友人にした。気分屋の上司に振り回され(私の周りの友人たちはよく上司に悩んでいる)、最近自分の部署にやってきた後輩の不遜な態度が解せないと、頭を悩ませていた。私が営業を赤子だと思い心の中で赤ちゃん言葉で話しかけているというと(字面にするといかがわしい店のようだな)、友人は神妙な顔で「上司にはそれでいける……」と言っていたので、私としてはいけちゃうのか……とやや困惑したものなのだけれど。じゃあ不遜な態度の後輩はどうしたらいい、何と思ったらいいと、尋ねられた。幸いにして、私はいまだ不遜な態度の後輩に出会ったことがない。(別部署ならそういう態度の人間はいたが、それを良しとするか否かはその部署での話なので、私には関係ない)とりあえず話を聞くに、中途で入ってきたらしく前の会社はブラック企業ナチュラルに周りが全員バカにみえるタイプらしく言い方が常に上から、意見のごり押し、あたりがどうやら友人からみた後輩の印象だった。意見のごり押しはこういう感じと説明してもらい、件の後輩は仕事はできるし自信がある、そして頭がいいほうだと思った。つまり戦力としては申し分ないのだ。仕事ができる。私からすれば仕事ができるだけでもう充分である。それを踏まえたうえで「心構えとしては仲良くしよう、ではなく、うまくやろう、でいい。」と伝えた。また意見のごり押しの感じやマウントをとるような上から目線の物言いは、もともとの性格にプラスし、最初に勤めた会社でそのようなやり方を周りがしていたのではないか?と思う。さすがに社会に出てすぐにそんなやり方するようには思えず、単にその後輩が知っている仕事のやり方がそうであるような気がする。それが完璧に間違っているとは思わないが、多くの場合下策であることは否めない。それに周りがバカにみえるがゆえに「私が周りにもっと知識を教えてあげなきゃダメ!」というようなことも言っていたらしい。すごい、私なら自称ジャンル・ダルクとあだ名をつける。革命の風が強い。そんな性格を鑑みるに頭ごなしに否定したら反抗するばかりだと思うので、友人には「相手のいいところは褒める、向こうも意見は通したいほうだと思うので、とりあえず君が意見を通すにはこういう段取りでやっていくと意見が通る、というやり方を見せていけばいい。頭はいいと思うから、勝手に学ぶだろう。とりあえずそんな感じにやっていけばいいんじゃないかなあ。」というようなことを伝えた。それにその後輩がごり押ししていた意見自体はいいものだったし、それには友人も賛同していた。じゃあまあ大丈夫じゃないかなあと思いつつ、相談事を受けることにより、自分の気持ちも回復するものだなと、思った。

最近のこと六

ここ最近観た映画。(新作以外はAmazon prime)

アデライン、100年目の恋」「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」「セブンティーン・アゲイン」「ランペイジ 巨獣大乱闘」「グッド・ライいちばん優しい嘘」「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」「ハッピーエンドが書けるまで」「犬ヶ島」「しあわせはどこにある」「ウォールフラワー」「デッドプール2

今は「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」を観ている。

観た中だと「ウォールフラワー」のエマ・ワトソン演じるサムのセリフが印象的だった。

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 主人公のチャーリーにあなたの望みは?と問い「君が幸せでいること」という答えに対しての返答だ。やさしさではあるけれど、と、前置きをした上でこう答える。いいセリフだなと思った。

自覚のこと

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前の会社の後輩と日曜の夜水族館へ行ってきた。品川プリンスホテルにある「マクセル アクアパーク品川」へ。いったい何年振りだろうかというほど、水族館は久しぶりだった。イルカはものすごく癒されるし、水の音を聴いて水槽を眺めているだけでだいぶ心地が良くなる。久しぶりだったから余計にそう感じたのかもしれないが、品川なら近いし、さすが都市型水族館なだけあって夜も遅くまでやっていて平日も行きやすい。年間パスポートも手ごろで、買おうか今揺れている。あとはほほえましいことにカピバラがいるのだけれど、ポーズと照明が絶妙に相まってものすごいジャガー感あふれる写真が撮れた。なんだかよくわからないがとにかくかわいい。

 

疲れたことを自覚したのだけれど、自覚というものがものすごく大事だなと、改めて思った。やたらに自信がないゆえに自分のここが許せんという部分が多く、ためしにノートに「自分の嫌いなところ」と「自分の好きなところ」を書いてみた。好きなところが山のように出てきたわけではないが、思っているより自分の事嫌いではないことがわかった。その上嫌っている部分はもうそれはどうしようもない部分(極端に言うと肌の色みたいなレベル)であるため、そういうものを除いていくと全然嫌ってはいなかった。単に許せないだけだ。じゃあまあ、それは許していけばいいだけだから大丈夫だろうな。可視化することで自覚がなかった点の輪郭がくっきりし、なるほどレコーディングダイエットみたいなものかと、思った。効果あるな、と。逆に書き出した項目の中に自分でも良しと思える部分もあり、自分自身を擁護することもできた。それに死にたがりなことに間違いはないが、できればそんなこと、考えずに済むなら考えたくないのだということも自覚した。自覚したところで考えてしまう時は考えるだろうけれど、死にたいという気持ちを息抜きとして扱うだろうけれど、そういう時は極度に疲れているか、極度に悲しんでいるか、とにかく感情が振り切っている時だ。正常なときはそんなこと考えもせず、呑気に野良猫に話しかけている。

教育は自覚させることが大事であるため自分自身でその練習でもしてみようかと思った。

最近のこと五

髪の毛を整えるために美容院に行った際、近くの席の女性客と美容師(女性)が「男性の毛がホントむり」という話していて、ふいに昔中学の同級生が「毛のない生き物ってキモいから無理なんだよね、だからお坊さんも嫌い」というとんでもない濡れ衣でお坊さんを嫌っていた話を思い出した。真逆のこともあるものだなあ。戻って美容院での事だが、お二人曰く「毛が濃いのにハーフパンツはきたがるのホント許せない」ということらしい。あの場にいた男性諸君はどんな気持ちだったのだろう。ちなみに私は「へぇ、そういう感情もあるのだなあ」と、そんなことよりお二人の声のボリュームが大きく内心ビクついていたほうが深刻だった。(私自身がわりと小声というのもあるが、男女ともに声が大きい人はあまり得意ではない)人それぞれ許せない基準は違うものだから、彼女たちがどうというわけでもないのだが、私の周りにいる女性たちからは聞いたことのない話だったので興味深かった。私の周囲の女性たちはどちらかといえば大歓迎!みたいな事さえいうので、それはまたそれで反応に困るのだけれど。そしてハーフパンツをはきたがるのは、単に暑いからだと思う。私だって夏場はもういっそ裸で過ごしたい。

最近のこと四

余白がないので、妹に「誰かと暮らしている姿が思い浮かべられない」と言われた。実の家族と暮らしているのだけれど、このざまである。家族仲は悪くないとおもっているし、家族が嫌いだとは思わないのだけれど、確かに一人の方が良さそうではある。が、母親から「あなたは一人で暮らしたら死ぬ」と言われ、それもまあその通りだとも思う。(実家なのに食事をせずに過ごしている時が多いのだ、そりゃあ、まぁ、そう思うでしょうね)父親も「俺に似てあまり人と仲良くなれるほうじゃない」とか言い出すのだから、負のハイブリッドか。聞かされる方の身にもなってほしい。(でもこの人たちは私ではないから仕方ない)気分が落ち込んだり、鬱気分を解消する対処法として、きちんと食事をして睡眠を取り規則正しい生活をすればいいというアドバイスを目や耳にするのだが、よくわかる。その通りだと思う。食事しないとダメだと日常的に言われるし、現に食べないと動けない且つ苦しいという経験なら豊富にある。その度に食事って大事だよなぁと思うのだが。元々食事の優先順位が低いのも相まってか、そもそも食事をする気にならない。食事が大事なのは頭ではわかるのだけれど、そこに自分の気持ちを持っていけないから結果的にきちんと食べられないか、若しくは食べたとしても「義務感」しかないので正直に言えば楽しくないという印象になる。楽しくない事は人間、あまり意欲的になれない。規則正しい生活をすれば気分はよくなる!という理屈はわかるけれど、意地の悪い気持ちを持てばそこまで自分の気持ちがついていかないからこうなっているのだが、そこに関してはどうお考えか?と言いたくもなる。

そもそもなぜ常にこうも気持ちが落ち込んでいるのか、原因はわからなくもないのだけれど、そのほかで問題点があるとしたら、私の中の関心のトピックの最上位に「死にたい」があるからだと思う。それを上回るほどの興味が他にない。映画も音楽も本も美術も好きだけれど、悲しかなどれも単なる暇つぶしでしかみていない。しかも生命保険にちゃんと入っているせいで「生命保険が降りるギリギリ自殺にみえない範囲で且つ確実な方法」を考えだす始末である。死にたいという気持ちを持っていてもいいし考えていてもいいとは思うが、やたらに手が込んでいる。そこに意欲的に取り組めるならもっと他の事もいけるんじゃないか?むしろそれ別のエネルギーにならないのか?と。関心のトピック最上位から「死にたい」が後退すればいいのだ。それはわかる。それ以外に強い関心を持っていないからわざわざそんな手の込んだ想像を繰り返しているのだ。他の事なぁ。他の事ねぇ。

余白と余裕のこと

休日、家にいる間体が重く起きていられないのは疲れているせいか?と思っていたのだが、なんてことはない、まともに食事をしていないせいだという事に気が付いた。そりゃあ、動けない。いやだって、食べていないのだもの。食事をする意欲が低すぎるんだなあと思い、せめて最低限家で動ける程度のパワーは必要だと、自宅でフラつきながら考えた。そのわりには朝早くから家を出て上野の東京都美術館まで「プーシキン美術館展-旅するフランス風景画」を楽しみに行ってきたのだけれど、アンリ・ルソーの「馬を襲うジャガー」とクロード・モネ「白い睡蓮」目当てで。いやぁ美しかったなあと大満足で帰ってきた。七月末からは「藤田嗣治展」になるらしいのでまた行こうと思う。そのほかでは先週から公開しているウェス・アンダーソン監督の「犬ヶ島」を観たりもしていた。(その前の週だと「ランペイジ 巨獣大乱闘」も観たが、いい)食事するしないも含めて、自由で気ままな休日だと思う。そして、余白がない。余白。生きていく中で余白は大事だよなあと、よく考えているのは、私自身に余白が少ないからだ。糊代だったら苦情レベル。よかったなあ糊代じゃなくて。(どちらかといえばいつも鬱気分の死にたがりなので、まあ余白、少ないだろうな)

人に会わないよりは会うほうがいいと思うのだが、今は自分があまりいい状態ではない。自分があまりいい状態ではないということは、相手の話を聞く余裕がないのだ。余白がなくても一応生きてはいけるが、余裕がないのはダメだ。私は余白ゼロでも、生きている間は余裕であってほしい。優しい人でいたいならば、そうあるべきだと思う。